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治療お休み

2005/10/12 10:29

不妊治療体験記 -Step14-

4度にわたる体外受精で、私の身体はとても疲れていました。

うまく説明できないけれど、自分の身体のことは自分が一番よくわかる。
このままやみくもに3ヶ月おきに治療を続けても、
結果は一緒なんじゃないか、いや、もっと悪くなるのでは・・・。

そんな思いが芽生えていました。
せまりくるタイムリミットのことを考えると主人はなかなか理解してくれなかったけれど、
自分の中では1つの結論が出ていました。

それは--治療をお休みする。

のらりくらりと治療のことをかわしながら、約10ヶ月間、私は好きなことに明け暮れました。
このころ、りんちゃんブログを始めたこともあって、新しい出会いもたくさん経験しました。

そこには不思議とおだやかな自分がいました。
いつかまた、きっと風は吹いてくれる・・・。

そして、その風は再びやってきたのでした。


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テーマ : 不妊 - ジャンル : 結婚・家庭生活

不妊治療体験記  | コメント : 1

マイナスからの再スタート

2005/10/12 09:46

不妊治療体験記 -Step13-

3度目の体外受精で妊娠するも、7週で稽留流産。
流産後の生理は、わりと周期通りにやってきてくれました。

病院からは、3ヶ月あければまた体外受精に挑戦できると言われました。
また、流産後はソウハ手術によって子宮内膜がキレイなので、いつもより妊娠しやすい--とも。
でも、正直次のことはあまり考えられませんでした。

過去に子宮外妊娠もしていたため、習慣性流産や染色体異常の可能性も聞いてみましたが、
これは3回以上流産が続く場合に初めて検査対象となるそうで、
今は特に心配する必要はないとのことでした。

せっかく妊娠までこぎつけることができたのに、また治療からのスタート。
ゼロじゃなくて、マイナスからのスタート・・・。

何も知らない人は「またすぐ妊娠できるよ」と言ってくれるけれど、
また注射したり手術したり、妊娠判定日のことを想像すると、
そしてそれ以上に、もしまた流産してしまったら・・・と考えると、
「やりたくない」というより、「何も考えたくない」という心境でした。


そうこうしているうちに、というか、何も考えたくない=からっぽの自分を埋めるかのように
我が家に愛犬りんちゃんがやってきました。
飼うきっかけとなったのはもちろん流産なのですが、人にはそのことを隠していました。

りんちゃんがやってきてからは、生活がガラリと一変、
何をするにも犬中心になり、夫婦の会話も増えました。
意外だったのは、主人が想像以上にお世話に協力的だったこと。
ホントはこうやってわが子の子育てをしたかったのかな・・・と考えてしまうほどでした。

気がつけば、あっという間に流産から3ヶ月たっていました。
私はまだいいと思っていたけれど、一応主人に次の治療をどうするか相談したところ、
「妊娠しやすいんでしょ、やらない手はないよ」と積極的な返答が。

またしても、背中を押してくれたのは主人でした。
こうして、2005年8月、4度目となる体外受精に挑戦することになりました。

ただ治療の成績はかんばしくありませんでした。
できた受精卵はたった2つ。今までで最低でした。
胚盤胞移植するには受精卵の数が少なく全滅する恐れがあるため、そのまま移植しました。

結果は・・・
陰性でした。

暗い気持ちで家に帰ってきたら、
りんちゃんがしっぽを振って出迎えてくれました。
ありがとう、りんちゃん・・・。


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不妊治療体験記  | コメント : 0

ピリオドはある日突然に・・・

2005/10/01 13:00

稽留流産体験記
*これは過去に経験した流産体験記です。


結果から言うと--7週で心拍停止の稽流(けいりゅう)流産でした。


3回目の体外受精でようやく妊娠反応。
タイノウ確認→心拍確認、母子手帳ゲットと、ここまではいたって順調でした。
心拍が確認できた頃から、早くもつわりが始まり、
仕事に支障も出てきそうだったので、職場には早々に妊娠報告をしました。

妊娠報告したのは、スーさん35歳の誕生日。
みんなから「おめでとう」と言われ、
あぁ、自分はなんてシアワセなんだろうと、心の底から喜びをかみしめました。

けれど、シアワセのピリオドはある日突然やってきました。

朝、トイレに行くと茶色っぽい出血が・・・。
筋腫があるため、出血しても心配ないと先生から言われていましたが、
さすがに不安になって、すぐに病院に行きました。

ダイジョウブ、ダイジョウブ・・・
心拍が確認できれば流産の可能性もグーンと低くなるっていうし・・・


けれど、超音波画像は真実を私につきつけました。
先生は何も言いませんでした。

再び診察室に呼ばれ、最後通告。
「超音波、わかったよね・・・。心拍が消えている。大変残念ですが、流産です」

その後のことはよく覚えていません。
ただ、1週間後にソウハの手術をすること、
もしそれまでに塊が出てくれば、手術の必要はないと言われ、
手術承諾書を手渡されました。

家に帰ってきて、最近はじめたダンナとの交換日記
(残業で帰りが遅いため、その日の様子を書き記したもの)を目にしたとたん、
初めて涙が溢れ出て、一人声を上げて泣きました。

悲しい雨の日の午後でした。


手術までの1週間はとてもつらかったです。
赤ちゃんはもうお腹の中で死んでいるのに、相変わらず続くつわり。
吐くたびに、むなしさがこみ上げてきて、早く自分も赤ちゃんも解放してあげたいと願いました。

1週間後、結局少量の出血はあったものの特に変化はなく、再び病院へ。
念のため、もう一度心拍や大きさを確認しましたが、前回と一緒・・・
というか、赤ちゃんはうなだれたような格好になっていました。

子宮口を広げるためラミナリアを挿入し、翌日手術。
悲しいかな、もう一人、私と同じ境遇の方がいました。
新しい命を宿そうと頑張っている病院で、こんなつらい現実があるなんて--。

手術は全身麻酔で15分ほど。
起きたらもうすべて終わっているんだろうな・・・と思いながらベッドに横たわりましたが、
なんと途中で麻酔が切れてしまいました(もともと麻酔が効きにくい体質のよう)。
「あともう少しだから」という先生の声。痛くて悲しかったな・・・。

次に目が覚めたとき、つわりはウソのように無くなっていました。

手術後、母が心配してかけつけてくれました。母も、流産経験者。
なるべく明るく振舞おうとしてくれているのがわかりました。
そんな母に、随分救われた・・・。

その後、近くのお寺で水子供養をしてもらいました。
お地蔵さんを買って、お供えするだけの簡単なものでしたが、
そのお地蔵さんの多さ、お供えしてあるオモチャやお菓子を目にしたとたん、
いてもたってもいられない気持ちになってしまいました。

産まれてこれなかった命がこんなにたくさんあるなんて・・・
こんなにたくさんの人が、私と同じ悲しい体験をしているなんて・・・


前回の子宮外妊娠ではまったく味わうことがありませんでしたが、
このとき初めて、流産のつらさを実感したような気がします。

産まれてこれなかった私たち夫婦二人の赤ちゃんに
改めて、さようならをしました。

*手術後、細胞を病理検査に出しましたが、流産の原因は結局わかりませんでした。
 また、手術後3日間ほどはわりと多めの出血が続き、微熱と貧血がありました。
 会社は病欠扱いで、傷病手当金を充当。また生命保険からの保険金も下りました。
 手術自体は健康保険対象のため、1万円とかからなかったです。


約1週間後、私は職場復帰をしました。
同僚も友人も、以前と同じように接してくれましたが、
とても気を遣ってくれていたと思います。

そしてそれから約2ヵ月後、ぽっかりと空いた心の隙間を埋めるかのように、
我が家に新しい家族がやってきました。

それは、愛犬りんちゃん
夫婦二人とワンコの新しい生活が始まりました。

流産したことを早く忘れたくて必死だったのかもしれません。
でも、りんちゃんは、私たちの生活に笑顔をもたらしてくれました。
そして私たち夫婦は、また前を向いて歩き始めました。


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稽留流産体験記  | コメント : 6

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